日本語の自動詞の元に使役動詞を作ると、被使役者には普段「を」格も「に」格 もつけられる。つまり、
1. コーチが選手を走らせた。は両方とも正しい日本語である。
2. コーチが選手に走らせた。
しかし、他動詞の元に使役動詞を作ると、被使役者が「に」格しか取らない。被 使役者に「を」格をつけると、非文法的な文ができてしまう:
3. お母さんは子どもにケーキを食べさせた。例文4の不適切さを説明するためには、『二重「を」制約』が定義された。(黒田、 196?)。この制約は一節の中には「を」が二回以上現れてはいかないと規定する。 例文4はこの制約に違反するので、非文法的になる。
4. *お母さんは子どもをケーキを食べさせた。
例文4の不適切さが説明できると言っても、『二重「を」制約』は直感的におか しい制約である。『二重「が」制約』や『二重「に」制約』が存在しないのに、 なぜ『二重「を」制約』が存在するだろうか。この問題にもかかわらず、『二重 「を」制約』は定義以来の30年間にわたって言語学で定着してきた。
『二重「を」制約』の主な存在理由が使役構造に関する理論にある。しかし、既 存の使役構造に関する理論は不完全なものがほとんどだというのも事実である。 本発表は今まであまり取り上げられていない使役のデータの元に、使役構造の格 表示の難しさを強調し、このデータを全て説明できる理論を追求する。
本発表は使役の格表示が意味素性(semantic features)によってコントロールさ れることを提案する。このアプローチは非常にきれいで、単純でありながら、使 役構造の振舞いを包括的に説明できる。もちろん、本発表のやりかたは『二重 「を」制約』などには依存していない。
本発表のアプローチはsyntaxと意味素性を強く関連させる。したがって、このア プローチはsemanticsがsyntaxに反映されるというLevinらの理論に新たな支援を 与えることにもなる。